鈴木朖 活語活用格

活語活用格

活語活用格

昭和55年3月25日 印刷
昭和55年4月1日 発行
発行所 離屋会館内 鈴木朖学会

鈴屋本居先生起草
田中道麻呂 編集
鈴木 朖  訂輔

「まえがき」より抜粋
この書は鈴木朖の国語学の中心となった著作で、しかも稀有の幸によって焼失をまぬかれ、今日に伝へられてゐるものである。この書の刊行を意図した朖の志はとげられず、晩年の弟子、栗田直政の手に伝へられ、愛蔵され、さらに後になって、その存在を発見した上田万年博士、筧五百里氏や、岡田稔氏など、いづれもその研究に傾倒され、特に岡田氏はあらゆる困難を冒しても何とかこれを世に出したいと、生前語られたことがあった。その言葉は今なほ私の耳に残ってゐる。

内表紙

実に、本書の刊行は、著者鈴木朖にはじまって、代々の尾張の国学者の悲願であったわけである。鈴木朖学会としては、この悲願を達成することは、学会の使命であり、この悲願がかなへられることは学会の喜びでもある。

この書は若き日、朖が人に書写させ、彼の活語研究の出発点となったものであるが、それがさらに一時、本居大平や春庭その他の人の手許にも貸し出され、のち長年にわたって朖の補訂をへて、植松茂岳によっても整理され、愛弟子栗田直政に譲られるといふ、我が国の活語研究に大きな役割をはたした、意義深い、貴重な文献である。今、これを手にすれば、それら先人の手ざわりが伝わるやうな、無量の感慨を禁じ得ない。今、これを手にすれば、それら先人の手ざわりが伝わるやうな、無量の感慨を禁じ得ない。

言語活用抄 原本

 また参考として、東洋文庫の『御国詞活用抄』の復刻をも許されたことは、喜びにたへない。これが公刊によって、鈴木朖の活語研究が一層開明せられることを期待したい。

 なほ、参考資料として、筧五百里氏、岡田稔氏の研究をも付載することができた。これらを許可して下さった方々にもお礼を申し上げたい。

  鈴木朖、大平、春庭、茂岳(もがく)らが
  手ふれしこのふみ、うつつにぞ見る

昭和五十五年一月
                    尾崎知光

目次

まへがき
例言

〔復刻〕 『活語活用格』
    (鈴木朖旧蔵本、安藤直太朗氏蔵本)(注)
〔復刻〕 『御国詞活用抄』
    (東洋文庫蔵、岩崎文庫本)

〔参考資料〕
  田中道麿と御国詞活用抄(抄)……筧 五百里
  活語活用格の再発見とその性格……岡田 稔

〔解説〕
『活語活用格』の成立………………尾崎 知光
 附一、東洋文庫本『御国詞活用抄』について
 附二、『御国詞活用鏡』について

注:安藤先生のご厚意により、現在は鈴木朖学会にて保存している。

例言(抜粋)

例言

一、鈴木朖旧蔵本『活語活用格』を復刻したが、同書に存する付箋は本文の他の語句に重ならないものは□で囲んで、付箋たることを示した。欄外等に貼られてゐる大きな貼紙は、前記の方法では示しがたいので、その所在箇所に番号を付し、その貼紙を後に別掲した。また、付箋の下にかくれた若干の本文は※印をつけて下欄に注記した。

二、東洋文庫蔵本『御国詞活用抄』をも復刻したが、これは一色刷りとしたため朱書の部分を示し得なかった。大体の傾向をいへば、例語の上の合点と「イ」として掲出した語はすべて朱書である。

三、「参考資料」として、筧五百里氏と岡田稔氏との論文を再録した。筧氏のは、岐阜大学学芸学部研究報告(人文科学)第八号所載のものから関係部分を抜いたもの、岡田氏のものは『鈴木朖』の第一部の論考の部分から抜いたものである。

四、最後に簡単な解説を加へた。前記の筧氏岡田氏の論考は共に詳細で、よく『活語活用格』のおもかげを伝へてゐるが、多少訂正を要する点もあると思はれるからである。ただこれは極めて大まかなものであるから、今後、さらに詳細な研究の出現を期待してゐる。

活語活用格 翻刻 紹介

御國詞活用抄 翻刻 紹介

御國詞活用抄 翻刻例

御國詞活用抄 翻刻例

田中道麻呂と御國詞活用抄
筧 五百里

はしがき

昭和二年七月三十日、今は亡き上田万年博士が名古屋を採訪せられ、海部郡大治町字砂子栗田貫一氏宅にて、鈴木朗自筆書入本御国詞活用抄を発見せられた。自分はこの採訪に随伴する幸福をえた。その因縁によりこの本の調査研究を上田先生から命ぜられ、昭和三年秋東大国語研究室で、国語学専攻の者の集まりの折り、本書の諸本の系統について、調査の結果を発表した。その後、本書の諸本について校合し、大体、原本を推定することを得た。(中略)
昭和十八年春職を東京に転じた時、又々橋本博士から、公刊はともかくも、原稿だけは一応成稿しておく様に、との御忠告をいただき、余暇を竊んで成功を急いだ。(下略)

田中道麻呂と御国詞活用抄 本文例

「活語活用格」の再発見とその性格
岡田 稔

「活語活用格」の再発見とその性格 本文例

『活語活用格』の成立
尾崎知光

一、まへがき

 天明二年に本居宣長が考案し、息春庭に書かしめた『活用言の冊子』は、本居語学の活用研究の出発点となった。宣長はこの書を尾張の田中道麿に送り、その補訂を依頼したが、道麿はその後いくばくもなくして、天明四年に没した。道麿の遺業はその門人らに承けつがれ、この書は『御国詞活用抄』の名をもって伝へられたのである。
 鈴木朖が宣長の学問に傾倒し、宣長に入門して後、その語学に興味をもち、遂に『言語四種論』『活語断続譜』『雅語音声考』の三部作をなす原因となったのは、『てにをは紐鏡』や『詞の玉緒』を見たことにもよるが、とりわけ大きな影響をうけたのは、右の『御国詞活用抄』に接したことによる。彼は寛政十二年の冬、この書を人に誂へて写させてゐる。それは田中道麿の本を川村正雄が写したものによってであった。朖はその写本にもとづいて、活用体系を自ら再考し、『活語断続譜』を著し、又、用言に二種の別のあることを発見して、それに基いて言語の分類を考案し、『言語四種論』をなした。『雅語音声考』の発想もこれらの研究に深く関係して生まれたものである。かやうにして、朖の国語研究を顧みるとき、『御国詞活用抄』の書写といふことは、そのすべての発端として極めて重要な意味をもつのである。そして、単に発端としてのみならず、後々までも彼はこの書の補訂をつづけ、それを自己の国語研究の中核に据ゑようとする意向を有してゐたことが知られる。それは後述する『活語活用格』の存在によって証明せられるのである。

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