学会誌 文莫 第30号 (平成20年6月発行)

文莫 第三十号 表紙

本誌の名「文莫」の文字は、これを鈴木朖の筆なる扁額からとって、縦に置きかえたものである。この語は、『論語』述而篇の、「文莫吾猶人也」とある句中の「文莫」の二字を連語として解したことによるもので、その意味は、朖の著『論語参解』によれば、「黽勉ト同音ニテ、同シ詞ナリ、学問脩行ニ出精スル事也」という。あるいは彼の座右の銘ではなかったかと思われる。

 

 

 

 

 

目次
一、鈴木朖と時枝誠記・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・尾崎 知光
二、『活語断続譜』についての覚書・・・・・・・・・・・・・・・・・尾崎 知光
三、『活語断続譜』の成立は果して享和三年六月か
  (復刻)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・古田 東朔
四、『活語断続譜』(岡田本・神宮本)
  成立時期私見(復刻)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・古田 東朔
五、黒川本『活語断続譜』
  (東京大学文学部国語研究室黒川文庫蔵)・・・・・・・・・・・・山東  功
六、黒川本『活語断続譜』(影印)
七、『続養生要論』(刈谷図書館村上文庫)影印
八、『文莫』総目次(第一号〜第三十号)及び刊行物

一、鈴木朖と時枝誠記・・・・・尾崎 知光

鈴木朖と時枝誠記

平成十九年六月二日 鈴木朖学会講演会記録(冒頭要旨)

 本年はご存じのように鈴木朖没後百七十年の記念の年でございます。そこで今回は学問的な話はちょっとよけておいて昔の思い出話を中心にして、いろいろとりまぜてごく雑駁な話をとりとめもなく申し上げたいと方針を変えて参りました次第です。

 鈴木朖という人は尾張藩の国学の中心人物であったわけですけれど、亡くなってから長い間人々の関心から大変遠のいてあまり注目されない人物になっておりました。それがあるとき突然脚光をあびるようになった、それはどういうことかというところからお話ししたいと思います。

鈴木朖と時枝誠記

 昭和二年の一月の『国語と国文学』に「鈴木朖の国語学史上に於ける位置に就いて」という論文が出ました。筆者は時枝誠記という人で、言語過程説による言語理論を打ち出して一期を画した大学者であります。大学を出て二、三年たった頃にお書きになったものなのです。これが鈴木朖を世に出してものだということについては、私が若い頃にいろいろな他の先生方からききました。江戸時代の国語学の中で、本居宣長の『詞の玉緒』とか『御国詞活用抄』という偉大な業績があります。それともう一つちょっと違った立場の富士谷成章の学問というのがある。この二つの学問を統一したのが鈴木朖である。そしてその鈴木朖の学問はそれ以後の活用研究に大きな影響を及ぼしたものだと、そういう意味で鈴木朖の存在は大変重要なものであると、時枝先生はおっしゃるわけです。

鈴木朖と時枝誠記

〔付記〕
右の文章は、平成十九年六月二日、鈴木朖百七十年記念の折に、鈴木朖学会で講演したものの記録である。文章としてはととのわないところがあるが、なるべくそのときの話を再現しようと思い、多少の訂正の外は手を加えていない。但し、講演の際の演題は「鈴木朖と時枝学説」であった。これは先師時枝誠記を呼び捨てにするには忍びないという気持から「時枝誠記」を「時枝学説」としたという事情もあった。ところが、本稿校正の段階で、同題のものが金岡孝氏に「文莫六号」に掲載されているのに気付き、今更自らのうかつに愕然とした。同題の文章が同誌に存在することは、校正文献処理上混乱を招く。このため、やむをえず、題名を変更せざるをえなかった。

 なお、時枝先生の呼称は客観的に扱えば敬称なしにすべきであろうが、講演では到底不可能で、時枝誠記、時枝さん、時枝先生など話の調子によって混用する結果となったので、本稿もそれに従った。不統一ではあるが、これも私の心情の自然表現としてそのままにした。終りに、記念の会に対する拙懐の詠をのせることを許されたい。

 鈴木朖の百七十年は時枝の大人みまかりて四十年の年

 時枝の大人にならひておほけなく鈴木朖語る百七十年の会

 世に稀なる心の感応(ひびき)ありけらし鈴木朖と時枝の大人(うし)

 いかばかり鈴木朖を慕いけむ師説たどれば思ひは深し

 てにをははことばの根源(もと)と朖いふ主客未剖と師はのべ伝ふ

二、『活語断続譜』についての覚書・・・・・尾崎 知光

『活語断続譜』についての覚書

 以下に記すところは、『活語断続譜』についての粗々しい覚え書きである。研究ではない。精密な検討は今や私のよくするところではないので、感ずるままのことを次第もなく記しで、後の研究者の何かのご参考としたいとの願ひをこめて老齢で判断力を無くした者の仕業として、ご一覧いただければ幸ひである。

一 (『活語断続譜』はいつ成立したか。)

二 (神宮文庫本の扉にある題字の右の書入と、続く
   中味について)

三 (神宮文庫本の扉の文を検討)

四 (神宮文庫本、岡田本などを更めて対比)

三、『活語断続譜』の成立は果して享和三年六月か
(復刻)・・・・・古田 東朔

四、『活語断続譜』(岡田本・神宮本)成立時期私見
(復刻)・・・・・古田 東朔

五、黒川本『活語断続譜』
(東京大学文学部国語研究室黒川文庫蔵)
                 ・・・・・山東 功

黒川本『活語断続譜』

 鈴木朖の『活語断続譜』には、神宮文庫本、岡田本、柳園叢書本といった諸本が存在しているが、それら諸本間の関係については、すでに尾崎知光氏や古田東朔氏らによる綿密な検討によって、おおよそのところが明らかになっている。しかしながら(中略)、資料上の制約から、未だ不明な点が多いというのも事実である。

 このたび取り上げる東京大学文学部国語研究室黒川文庫所蔵『活語断続譜』も、城戸千楯写本という点で岡田本と同系統ということまではわかるのだが、これが神宮文庫本とはいかなる関係にあるのかとなると、これまた確かなことはよくわからなくなる。(中略)そこで今回、改めて東京大学文学部国語研究室のご協力のもとに、原本影印を本誌に掲載させて頂くことになった。

 

黒川本『活語断続譜』

(略)

 ともあれ、この度の影印掲載により『文莫』誌上で『活語断続譜』諸本の大概が揃ったことになる。今後は詳細な比較検討や新出資料との校合等により、不明の部分が徐々にでも明らかになっていくことを期待している。

八、六、黒川本『活語断続譜』(影印)

七、『続養生要論』(刈谷図書館村上文庫)影印

八、『文莫』総目次(第一号〜第三十号)
及び 刊行物

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