離屋詠草(上・下)

離屋詠草 上

離屋詠草 上

植松茂、小瀬園子 編
昭和五十九年五月二十五日 印刷
昭和五十九年六月  三日 発行
発行所 離屋会館内 鈴木朖学会

解説 植松 茂

 ここに活字翻刻する『離屋詠草』の原本は離屋会館に所蔵される写真版三十二冊のものである。この三十二冊の厚さはまちまちである。歌を記した部分の枚数と、そこに含まれる詠草の年次を表示すれば次の如くである。

   一 七十七枚 寛政九・十年-文化元年・二年三月。
   
二  八十枚 文化二年四月-同五年正月。
         (以下略)
  十二 八十七枚 文化十四年正月-十二月。
         (以上本書上巻所収)
 
  十三 八十八枚 文政元年正月-十二月。
         (以下略)
 三十二   十三枚 天保八年正月-五月。
         (以上本書下巻所収予定)

 内容はすべて鈴木朖自筆の詠草と考えられるが、注意すべきことは「一」で、寛政十一・二年、享和元年から三年に至る詠草が欠落していることで、この間朖は詠歌から遠ざかったのであろうか。その後の詠歌は継続して朖の死(六月六日)の前月に至っている。この詠草の多くは諸々の歌会の兼題・当座の歌として詠まれたものであるが、これに訂正の加えられている場合が多い。この訂正は朖自身の手によるものであろうが、本居春庭・同大平に添削を乞うたものも多く、その添削に従って訂正したものとの区別はつきにくい。

 歌会の主催者も色々であるが、文化七年以後、植松有信のものが多く、これが有信の没した文化十年以後にまで及んでいることが一つの不審である。これについては他に資料が得られないが、有信の義弟桜山典直によって継続されたのではないかという推測が成り立つであろう。(歌会の主催者を含めた人名索引を下巻末に附する予定であり、全歌の初句索引も同様の予定である。)

 本写真版の原本は二十冊目に「名古屋都築高光氏蔵書本写」と記されているのによって知られるが、現在どうなっているかはわからない。

 本書の存在は関係者の間では既に広く知られており、昭和四十二年刊行の『鈴木朖』にも利用されているようであるが、複刻の運びに至らなかった。

 筆者は一昨年、朖の後裔俍氏の了解を得て本書全部をコピイし、これを翻刻刊行することを同氏にすすめてその了解を得た。そして、印刷原稿の作成を小瀬園子氏に依頼し、翻刻の形式などについても同氏と相談を進め、一方では昨年の「鈴木朖学会」で、本書の一部を利用して「鈴木朖と植松有信・茂岳」と題する講演を行った。
 学会役員諸氏の御協力によって本書を刊行することができるのは誠に感銘深いことである。

   昭和五十九年四月

離屋詠草(上) 目次、本文(例)

離屋会館所蔵 『離屋詠草』 写真版 詠草一表紙及び冒頭

離屋詠草 下

離屋詠草 下

植松茂、小瀬園子 編
昭和六十一年四月二十日 印刷
昭和六十一年五月 十日 発行
発行所 離屋会館内 鈴木朖学会

離屋詠草(下) 目次、本文(例)

離屋会館所蔵 『離屋詠草』 写真版 詠草十三冒頭

離屋詠草 初句索引

離屋詠草 人名索引

あとがき(抜粋)

 上巻の解題に記したように、本書は離屋会館に所蔵せられる写真版によって翻刻したのであるが、上巻発刊後にこの書の原本の現在の所蔵者が名古屋市在住の文学博士T氏であることを文学博士M氏に教えて頂くことができた。そこで早速T氏の御許可を得て写真版による原稿の不審な点などをその原本によって照合することができたのは誠に幸いなことであって、ここに改めてT博士とM博士に深い感謝の念を述べておきたい。又、写真版にはとじ違えがあり、推定によって訂正したのであるが、これも原本によって確かめることができた。

 残念なことに編者二人の不注意によって上巻に多くの誤植を残してしまったが、今となっては正誤表によって読者に正して頂くほかはなく、深くおわびする次第である。

 下巻末の人名索引と初句索引は主として小瀬が作製に当ったが、人名に付した畧注は植松が付したものである。

 なお、本書のよみ方には「りおくえいそう」「はなれやえいそう」の二通りが考えられるが、『国書総目録』に従って「はんれやえいそう」とよむことにしておきたい。

 本書が刊行されるのは上巻の解題に記したように故鈴木俍氏の御遺志によるものである。上巻に引続き微力の編者に万事をお任せ下さった鈴木朖学会役員諸氏に深い感謝を捧げたい。

   昭和六十一年正月
                            植松 茂
                            小瀬園子

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