鈴木朖逸文集
鈴木朖百五十年記念出版
昭和62年10月10日印刷
昭和62年10月20日発行
はしがき(抜粋)
鈴木朖が漢学者か国学者かなどと論ずるのは皮相な問題のとらえ方であるが、彼は自己の思想、信念、学問観などを書きしるすに、特に若い時期においては手慣れた漢文でなしているのであり、これは当時の文人としては至極普通のことであった。朖の漢文集には、『離屋集初編』があるが、それに収められなかった文集も数多く存在する。それらの中には、漢文学の造詣をこめた、高度の思想的内容の評論もあるが、一方では日常の雑記を自然な筆致でしるしたものも多く、そうした諸文は彼の生活や、身辺、交遊、家系などを知る上での好資料である。
今回、鈴木朖百五十年記念出版として『鈴木朖逸文集』を複刻刊行することを計画した際に、市橋(鐸)主任を中心として、最初に原資料を解読し、大脇鉄三郎氏が苦心復元し、さらに漢学に造詣の深かった伊藤加七氏が訓点を増補点検し、覚書きの注を欄外に記した第一次草稿本をもとにし、これを更に整理編集して、後世に残すことにした。この三氏の苦心の結晶である草稿は、多少の誤りはあるにせよ、後世に伝えるべき価値のあるものといってよい。
この『逸文集』には、寛政頃までの文が割合に多く、三十歳代までの彼の生涯の知られざる部分を探求するための好資料である。今後の学者の研究を大いに期待したい。
昭和六十二年九月
尾崎知光
(注:目次内に誤字等と思われるものがあり、本文の題と比べて訂正した。)
目次
弁類第一
一、気運弁
以上一篇
説類第二
二、美佳説 三、子元字説
四、千村君仲冬字子元説 五、論語顔渕司馬牛憂曰章説
以上四篇
序題第三
六、悉曇字記真釈序 七、象棋拾遺序
八、離屋集序 九、題重訳観音経首
一○、題古風物語首 一一、題綴術新意首
一二、題海島算経図解首 一三、題聊斎志異抄本首
一四、題算法発隠首 一五、題蝦夷随筆
一六、題福善斎画譜 一七、贈黙也翁序并賛
一八、味岡翁七十序 一九、横須賀宰斎藤子若七十序
二○、送村上秦檍麿序 二一、贈本間大器序
二二、題松屋 二三、題章甫画
二四、題張機像 二五、題霊照図
二六、題癡聃習書 二七、題藤彰甫所臨雪舟富士図
二八、題岫雲斎画
以上廿三篇
跋題類第四
二九、天台図記跋 三〇、西洋本艸名疏 附録跋
三一、跋備藩展 三二、跋輪写石交吟
三三、跋聖師画録 三四、跋米沢老侯訓語
三五、跋智永真艸千文 三六、題田中大秀竹取物語解後
三七、題書図南年譜後 三八、書土津霊神言行録後
三九、書南山詩跋 四〇、聖武天皇御筆心経跋
四一、跋癡聃書 四二、跋水谷温基書赤壁賦
四三、跋永田蘭斎書 四四、跋籐彰甫画東方朔図
四五、書丹羽勗書広千字文後 四六、幽澗泉辞後記
四七、本城雅人之蹟後記 四八、宣長富士図後記
四九、題神君御書簡後 五〇、題少時手書後
五一、題蘇東坡行書西湖詩後
以上廿三篇
書牘類第五
五二、復平野君 五三、贈若山叔亮言
五四、与堀田中倫 五五、近江源賀厚敬呈
五六、復丹羽子勉
以上五篇
記類第六
五七、画記 五八、三田氏雀室記
五九、龍言記 六〇、北野村天松院天満宮記
六一、硯盒記 六二、二宮氏古升記
六三、遊焉書屋記
六四、竹堂記并頌 六五、五両庵記
六六、鈴木氏宅内稲荷祠記 六七、鵲巣居記
以上十一篇
弔類第七
六八、奉挽恭淑孺人
以上一篇
墓誌碑銘類第八
六九、彩岳浄雲居士墓碣銘 七〇、吉田長洲先生墓誌
七一、堀川達海碑 七二、家弟良順墓誌
七三、慈雲居士墓碣銘
七四、藤井豊邦墓記 七五、老医森荘条先生之墓
七六、堀田中倫墓誌銘 七七、同 右
七八、山田吉左衛門碑銘 七九、常滑白鴎碑銘
以上十一篇
頌類第九
八〇、詠帰堂頌
以上一篇
銘并讃類第十
八一、容膝斎銘 八二、題桑名舟人所用飯器
以上二篇
伝類第十一
八三、高木宣行伝
八四、堀川達海伝補闕
以上二篇
読類第十二
八五、読離騒 八六、読紫芝園漫筆
八七、読東照宮御遺訓
以上三篇
紀事類第十三
八八、紀邸舎壊陥事 八九、紀三河農某事
九〇、紀河地藤左衛門及其弟弥十郎復父讎事
九一、紀平安姦僧事
九二、紀二異聞 九三、紀事一則
九四、紀事二則 九五、紀事二則
以上八篇
軒渠類第十四
九六、軒渠録 九七、続軒渠録
以上二篇
雑文類第十五
九八、贈某子言 九九、観狂言
一〇〇、観結城明神碑文引
一〇一、神田氏家譜
一〇二、藤田桂翁掲其象棊図於真福寺請余題字焉
以上五篇
追加
一〇三、柬籐彰甫 一〇四、円福寺霊芝之記
一〇五、玉壺詩侯槀叙 一〇六、山田篁碑銘
一〇七、松風斎記
以上五篇
〔補〕
一、与永安寺住持僧書 二、高木氏産衣記
三、丹羽謝庵墓表