文莫 第八号 表紙
本誌の名「文莫」の文字は、これを鈴木朖の筆なる扁額からとって、縦に置きかえたものである。この語は、『論語』述而篇の、「文莫吾猶人也」とある句中の「文莫」の二字を連語として解したことによるもので、その意味は、朖の著『論語参解』によれば、「黽勉ト同音ニテ、同シ詞ナリ、学問脩行ニ出精スル事也」という。あるいは彼の座右の銘ではなかったかと思われる。
目次
一、中山清寬の『見聞録日記』と鈴木朖・・・・・・・・・・・・・・・尾崎 知光
二、中山清寬『見聞録日記』中にみえる鈴木朖関係の記事・・・・・・・中山 文夫
三、鈴木朖の『万葉集』研究・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・山田 祥子
書入本『万葉和歌集』よりみたる─
四、『少女巻抄注』をめぐる新資料(続)・・・・・・・・・・・・・・杉戸 清彬
復刻『あさぎの袖』(承前)
尾張藩の兵学者に中山七太夫といふ人物がある。この人の伝記は『名古屋市史 人物編第二』にも出てゐるが、最近その御子孫の中山文夫氏から鈴木朖に関係のある大部な貴重な資料を見せていただく機会に恵まれた。そこで取りあへずその一部について報告したい。
従来、朖との関係はあまり問題にされてゐなかった。ところが、実は極めて親密であり、終始あたかも形影の如く、あたかも親類のごとき交際をつづけてゐたことが判明した。
中山清寬の『見聞録日記』は、現存分は十一冊で、横長の大福帳のごとき形のものに、その年々の毎日の日記に、行事、出来事、見聞談、読書ノートなど極めて詳細に記されているものである。
鈴木朖関係の記事のあるのは、寛政十一年、文政五年を除く九冊である。
はじめに
一、朖説の概観
二、主たる朖の説について
(一)句意・歌意に関する説
(二)訓み方に関する説
(三)言辞に関する説
(四)用字に関する説
おわりに
「文莫」第七号に「『少女巻抄注』をめぐる新資料─本居宣長記念館蔵『あさぎの袖』について(付、影印)─」と題して、鈴木朖著『少女巻抄注』の生成過程を示す資料の紹介と若干の考察を行い、資料の影印も収めたが、その折には資料の全体を紹介するには到らなかった。そこで今回、残りの部分を影印と活字翻刻に依って紹介することとする。