学会誌 文莫 第23号 (平成12年2月発行)

文莫 第二十三号 表紙

本誌の名「文莫」の文字は、これを鈴木朖の筆なる扁額からとって、縦に置きかえたものである。この語は、『論語』述而篇の、「文莫吾猶人也」とある句中の「文莫」の二字を連語として解したことによるもので、その意味は、朖の著『論語参解』によれば、「黽勉ト同音ニテ、同シ詞ナリ、学問脩行ニ出精スル事也」という。あるいは彼の座右の銘ではなかったかと思われる。

 

 

 

 

 

目次
一、市岡猛彦の和歌・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・簗瀬 一雄
二、『論語参解』をめぐって・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・堀川 貴司
三、影印鈴木朖筆『聖師録』・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・堀川 貴司
四、聖師録(影印)

一、市岡猛彦の和歌・・・・・簗瀬 一雄

 市岡猛彦は尾張藩の中級の武士であった。寛政十二年二月に本居宣長に入門したが、翌年宣長が没したので、直ちに春庭に入門した。享和元年(一八〇一)のことであった。国書総目録索引によると、熱田宮縁起解・尾張式社考稿・美濃国喪山考などの考証、雅言仮名格・仮名つかひ・源言梯・増補古言梯・紐鏡うつし辞などの国語研究、伊勢物語図会校・土佐の日記追考・新古今集もろかづら、などの古典文学への関心を示すものがあり、和歌については、新古今集の他にも、拾玉草庵集・古今選類題・古今選類題拾遺のごとく、古典作品を自分の作歌資料として整理しようという、近世一般の傾向に従う労作をも手がけたのであった。

 

市岡猛彦の和歌

 私が今までに蒐集したものは、短歌一二二首と長歌二首であり、これに猛彦の没後に弟子によって刊行された讃酒百首(天保六年刊)を合せて、計二二四首というにすぎない。しかし、今後の蒐集歌は補遺とすることにして、以上をもって、彼の作品の鑑賞と批評を試みる。

二、『論語参解』をめぐって・・・・・堀川 貴司

『論語参解』をめぐって

 天明三年(一七八三)刊、京都の漢学者江村北海の著した『授業編』は初心者向けの漢学入門書であるが、自己の体験を交えつつ、初学から順を追って学問の進め方をわかりやすく説明している点に特色がある。

 京都と名古屋、朱子学と古文辞学、という違いはあるが、同時代の著作として、鈴木朖の学問形成をこれによって類推することは許されるであろう。

 初学の段階を過ぎるとこれ以降、講説と著述の生活が続いていく。古典の注釈には、個々の漢字・漢語から語法・文法に至る漢文の正確な知識の習得、作品を生んだ歴史的背景についての理解、先行研究の収集と咀嚼、といった地道な作業が必要となる。それは日々の講説との往復運動の中で積み重ねられ、注釈書に結実する。

 

『論語参解』をめぐって

 朖の場合、国学との兼修、語学への傾斜、という他にあまり例を見ない特徴のために、中心にあるべき経典注釈のまとまったものは『大学』『論語』の二書に過ぎないが、やはりそこには学者としての彼の真面目が窺われるように思われる。

 学習にも講説にも、『論語』は誰もが必ず通る道であり、需要・供給とも豊富だったろうから、ややもすれば安易な注釈書が流布しかねなかった。文政三年(一八二〇)序刊『論語参解』は形態上また用語上、いわゆる国字解モノの一つと位置付けられようが、北海の言う「論語ヲ戯弄ス」る凡百の注釈書とは一線を画するものである。

三、影印 鈴木朖筆『聖師録』・・・・・堀川 貴司

 本書は天明元年(一七八一)刊、丹羽嘉言編『福善斎画譜』初集五帖のうちの一帖『聖師録』を全部書写し、訓点を独自に施したもので、若い頃の鈴木朖の筆と見られる。

 『聖師録』は、本書の丹羽嘉言の跋に「張潮『虞初新志』、王言の『聖師録』を載せて曰く」(原漢文)とあるように、清の張潮が、同時代の文人の別集や随筆類から様々な奇聞を集めて康熙癸亥すなわち天和三年(一六八三)の序を付した『虞初新志』所収のもののみが流布したようである。本書はその全八十一話から嘉言らが五十八話(跋に「五十九」とあるのは誤り)を抄出したものである。

影印 鈴木朖筆『聖師録』

四、聖師録(影印)

鈴木朖 序

福善齋畫譜

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