学会誌 文莫 第20号 (平成8年5月発行)

文莫 第二十号 表紙

本誌の名「文莫」の文字は、これを鈴木朖の筆なる扁額からとって、縦に置きかえたものである。この語は、『論語』述而篇の、「文莫吾猶人也」とある句中の「文莫」の二字を連語として解したことによるもので、その意味は、朖の著『論語参解』によれば、「黽勉ト同音ニテ、同シ詞ナリ、学問脩行ニ出精スル事也」という。あるいは彼の座右の銘ではなかったかと思われる。

 

 

 

 

 

目次
一、田中道麿の和歌・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・簗瀬 一雄
二、『尾張名所図会』の和歌と発句・・・・・・・・・・・・・・・・・岡本  勝
  ─鈴木朖の和歌を中心に─
三、鈴木朖「天道論」をめぐって・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵜飼 尚代
四、服部正義「鈴木朖の活語活用格について」
  (再刻)

一、田中道麿の和歌・・・・・簗瀬 一雄

田中道麿の和歌

 田中道麿の事蹟については、筧五百里・赤木邦輔(中西慶爾)・岩田隆らの諸氏および養老町文化財保護協会の研究によって、漸次解明の度が増加しつつある。この間にあって私も「田中道麿覚書」を書き、名古屋地区における道麿門弟の宣長門への移行についての調査を報告したのであった。

 道麿は、明和六・七年頃からその没年まで、すなわち四十六・七歳から六十一歳まで、今の中区桜通の桜天神社の隣の靈岳院にあって、宮寺の事を処理する本務のかたわら、門人に和歌を教え、古典の講義をし、自らの研究としては、万葉集を対象とする語法の調査に専念したのであった。

田中道麿の和歌

 本稿では、歌人としての道麿に焦点をしぼり、その作品を鑑賞し、且つ批評を加えようと思うのであるが、実はその和歌作品の集成が未だ出来ていないのである。それには二つの資料の名のみが知られていて、その実態が判らないという理由がからんでいるのである。

二、『尾張名所図会』の和歌と発句
─鈴木朖の和歌を中心に─・・・・・岡本  勝

『尾張名所図会』の和歌と発句

 『尾張名所図会』は、岡田啓・野口道直編、小田切春江画によるもので、前編の大本七巻七冊は天保十五年の刊、後編の大本六巻六冊は明治十三年の刊である。内容は、尾張名所の解説と絵、及びその地に因む詩歌俳を収めているが、体裁は『東海道名所図会』などに倣ったものである。

一 『尾張名所図会』の和歌と発句

二 朖の名所和歌

三 宣長と朖

                『尾張名所図会』の和歌と発句

三、鈴木朖「天道論」をめぐって・・・・・鵜飼 尚代

鈴木朖「天道論」をめぐって

はじめに

 鈴木朖はなぜ「天道論」を執筆したのであろう。

『離屋先生文抄』巻三に収められた「天道論」の末尾に 丙午暮春撰 とあることから、「天道論」は天明六年(一七八六)朖が二十三歳の時に執筆されたとされる。

 前途有望な若者ではあったろうが、この頃の朖は精神的にかなりな苦境に立っている。父や恩師を次々に失い、それもあってか国学への思いを募らせながら鈴門への入門を果たせない。そして朖がこの「天道論」を執筆したという天明六年暮春には、幼年から教えを受けた丹羽嘉言が逝去している。こうした状況は「天道論」の執筆と無関係なのであろうか。

鈴木朖「天道論」をめぐって

 あるいは本居宣長と市川鶴鳴の〈道〉をめぐる論争との関連が認められるだろうか。

 小論では朖が「天道論」を執筆した意味を追求したい。「天道論」の内容分析からその執筆態度を検討していくことにする。

執筆意図

梗概

論争との関連

特色その一─相対化

特色その二─調和の志向

おわりに

四、服部正義「鈴木朖の活語活用格について」(再刻)

服部正義「鈴木朖の活語活用格について」(再刻) 解説

解説

 服部正義氏のことを知る人は今では極めて少ないであろう。しかし彼は鈴木朖の文法学説の研究史の上で、遠くはるかな、記念されるべき存在である。

 乏しい資料を追い求め、真実の解明に力を注いだ過去の人々の尊い努力の中で、この遠い昔の論文はやはり後世に記憶されるべきものの一つであろう。

服部正義「鈴木朖の活語活用格について「(再刻)

鈴木朗の「活語活用格」について・・・・・服部正義 
(再刻)

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