本誌の名「文莫」の文字は、これを鈴木朖の筆なる扁額からとって、縦に置きかえたものである。この語は、『論語』述而篇の、「文莫吾猶人也」とある句中の「文莫」の二字を連語として解したことによるもので、その意味は、朖の著『論語参解』によれば、「黽勉ト同音ニテ、同シ詞ナリ、学問脩行ニ出精スル事也」という。あるいは彼の座右の銘ではなかったかと思われる。
目次
一、国語資料としての『雅語訳解』・・・・・・・・・・・・・・・・・湯浅 茂雄
二、『離屋學訓』における〈敬〉について・・・・・・・・・・・・・・鵜飼 尚代
三、「本語」について続貂・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・尾崎 知光
四、新編 離屋集 上・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・杉浦 豊治 編
発表の主旨は、国語資料としてさらに活用が期待される『雅語訳解』について、どのような活用の幅があるかを考えようとしたものであった。具体的には、これまで成果のあがっている近世語の語義研究の分野以外から、特に語史・語彙史研究の分野と、国語学史の分野での活用について取り上げた。
文莫第十四号の、福島邦道氏の「鈴木朖の少壮時と国語学」の論文末尾、即ち同誌二六ページに、「本語」の用例について、私から得たものとして、『古事記伝』の例をあげていただいたが、それをお知らせした折に、この例のみではなくもっと以前から国学者の用いたものがあるような気がすると申し上げておいた。その後、賀茂真淵の『延喜式祝詞解』(この書は延享丙寅(三年)秋九月の自序あり)の序に、次のような記述のあることに気付いた。
食味眞訣(食味の眞訣)
勸子勉賣字説(子勉に字を賣るを勸むるの説)
達情説(情に達するの説)
答子勉論醫藥書(子勉に答へて醫藥を論ずるの書)
送丹羽子勉序(丹羽子勉に送るの序)
内職解(内職の解)
答問一則 論漢高祖(答問一則 漢の高祖を論ず)
文莫第十五号に「森・鈴木歌の論」の解説をしるした部分、即ち同誌五三頁に、「百善亭主」「百善亭」と二回にわたって「百善」と書いたことに対し、簗瀬一雄氏から、「百善」ではなく「百華」であるとのご注意をいただいた。ここに訂正し、簗瀬氏のご厚意に深謝する。