学会誌 文莫 第17号 (平成4年5月発行)

文莫 第十七号 表紙

本誌の名「文莫」の文字は、これを鈴木朖の筆なる扁額からとって、縦に置きかえたものである。この語は、『論語』述而篇の、「文莫吾猶人也」とある句中の「文莫」の二字を連語として解したことによるもので、その意味は、朖の著『論語参解』によれば、「黽勉ト同音ニテ、同シ詞ナリ、学問脩行ニ出精スル事也」という。あるいは彼の座右の銘ではなかったかと思われる。

 

 

 

 

 

目次
一、鈴木朖の国語学上の業績・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・島田 昌彦
  ─漢学者が見た日本語─
二、市川匡の一面・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・小笠原 春夫
三、鈴木朖の名前・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・岡田 芳幸
  ─朗・朖両字の使用と訓みに関する若干の考察─
四、植松有信の和歌・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・簗瀬 一雄
  ─蒐集歌の鑑賞と批評─
五、「はなれや」の額について・・・・・・・・・・・・・・・・・・・尾崎 知光

一、鈴木朖の国語学上の業績─漢学者が見た日本語─
・・・・・島田 昌彦

鈴木朖の国語学上の業績

1 中国における日本語教育

2 日本語のリズムの指導

3 日本語と中国語の対照

4 朖の国語学研究の発想の原点

5 『活語断続譜』は活用の全体像の把握

6 日本語とは何かを考えた『言語四種論』

7 「てにをは」が「玉」、「詞」は「緒」

8 朖における構文論

9 「やまとことば」のルーツを探る

10 朖の「やまとことば」論

二、市川匡の一面・・・・・小笠原 春夫

市川匡の一面

 今少しくみてみようとする市川匡(鶴鳴、匡麿)の場合、如上の観を改めて深くする。例へば、市川匡の知人交友関係、業績の若干等に就て辿つて行くと、その間に、市川匡の潔癖ともいへる人柄、まじめさ、和漢両者に亘る学識、著書等が浮かび上って来る。

 市川匡といへば、従来は、「まがのひれ」なる一書を著し、本居宣長の「直毘霊」を理不尽にも非難した人物であり、宣長をはじめ、その門流の憤激を買つた人間であるといふことで広く知られて来た。そしてどう見ても首肯される様な人間ではなく、むしろ“国学”に就いては殆ど理解のない、唾棄すべき人間とさへ映ったであらうことが窺はれる。

 “潔癖”といふことを一言したが、換言すれば“直情径行”ともいへる一面があつた様である。但しそれが彼の人生に常に悪しき結果をもたらすものであつたかといふに、必ずしもさうではない。彼の波瀾に富むといへる人生の過程に、親しみ慕い寄つて来た、年長者や友人、門弟等もかなり多く見られるのである。

版本 帝範國字解

民友社本の扉と序文の最終部分

三、鈴木朖の名前
─朗・朖両字の使用と訓みに関する若干の考察─
                                                  ・・・・・岡田 芳幸

鈴木朖の名前

  ─朗・朖両字の使用と訓みに関する若干の考察─

 本稿では、鈴木朖の学問を思想史の立場より考えるための基礎作業として朖の名前について若干の考察を試みることとしたい。

 鈴木朖は現在一般には「朖」の字を書き“ラウ”あるいは“アキラ”と呼ばれているようである。特に“アキラ”は本居宣長記念館所蔵の『稿本源氏物語少女巻抄注』に はなれ屋 鈴木の阿きら とあり、自らこのように名乗っていたことを証する重要な根拠となっている。

 しかし、安永七年(一七七八)釈梵韶の著した『張城人物志』文苑部には 山田朗 と見えており、寛政十二年(一八〇〇)筆の朖自筆本『活語活用格』(奥書)をはじめ、多くの著書や書に“朗”の字の使用が認められる。

       直接鈴木朖と関係するものを選び、年代順に一覧表とした

四、植松有信の和歌─蒐集歌の鑑賞と批評─
・・・・・簗瀬 一雄

植松有信の和歌

 明治書院版の『和歌大辞典』(昭和六十一年刊)で、有信の項を担当した私は、次のように書いた。

 有信(ありのぶ)〔江戸期歌人・国学者〕植松。通称は忠兵衛。名古屋の人。宝暦八1748年一二月四日─文化一〇1813年六月二〇日、五六歳。版木彫刻を業とし、古事記伝そのほか多く本居宣長の著作の刊行に従う。

五、「はなれや」の額について・・・・・尾崎 知光

「はなれや」の額について

 鈴木朖の号は「はなれや(離屋)」である。これについて故鈴木俍氏が『鈴木朖』の中で

 離屋なる号が何時頃から使われたか確たる調はついていない。戦前江川端の家の玄関を入った長押に はなれ屋 という古びた額がかけてあった。(戦災で焼失)……

 かけ はなれ 山のおくにはあらねども浮世に遠き心地こそすれ

○鈴木離屋の額にかける歌

かけはなれやまの奥にはあらねどもうき世に遠きここちこそすれ

はなれ屋の四字を大字に其餘の字を細字にかけりめづらしき書様なり

○同家にて正月六日の夕つかた七種の野菜を調するとき歌ひて物しける歌「たふとい神の教のかゆはなゝくさなづなとん〳〵冨よとゝとむとみよ」こは重業の祖父朗(アキラ)の代よりの事とこそ」

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