学会誌 文莫 第28号 (平成18年6月発行)

文莫 第二十八号 表紙

本誌の名「文莫」の文字は、これを鈴木朖の筆なる扁額からとって、縦に置きかえたものである。この語は、『論語』述而篇の、「文莫吾猶人也」とある句中の「文莫」の二字を連語として解したことによるもので、その意味は、朖の著『論語参解』によれば、「黽勉ト同音ニテ、同シ詞ナリ、学問脩行ニ出精スル事也」という。あるいは彼の座右の銘ではなかったかと思われる。

 

 

 

 

 

目次
一、鈴木朖『論語参解』の割注の言葉・・・・・・・・・・・・・・・・石川 洋子
二、漢文訓読史上の鈴木朖・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・齋藤 文俊
  ─過去・完了の助動詞の用法の変遷─
三、影印・養生要論

一、鈴木朖『論語参解』の割注の言葉
                ・・・・・石川 洋子

鈴木朖『論語参解』の割注の言葉

はじめに

 『論語参解』は鈴木朖による『論語』の注釈書である。その内容は、朖が『論語』の原文に訓読を施した本文と、それについての朖自身による注とから成っている。注は二行に割って、漢字片仮名交じり文で表記されてゐる。

 岡田稔・市橋鐸・杉浦豊治の諸氏は、朖を「飄逸」な人と評されてゐる。また、次の朖の歌もその性格を表はすものとされる。

  味噌で飲む 一ぱい酒に毒はなし 煤けたかかに酌をとらせて

  壱年を五石でくらす 貧者でも 万年生きりや 十五万石

 この飄逸な性格が、『論語參解』の割注の言葉にも遺憾なく発揮されてゐるのである。例へば、「遮婆フタゲ」、「山シ」、「バカ慇懃」といふ俗語や、「能ナシノ食ダクミ」、「術ナイ時ノ神ダゝキ」といふ「諺」が使用されてゐるのである。また、「俗ニ云フゝグリノキマラヌ人ナリ」や「サテハヨキ本家ノ旦那ト崇メラルベシ」等が注釈の言葉として現はれるやうに、解釈・説明の方便も面白く卑近で親切である。

 また、一方において、尾崎知光氏の「鈴木朖の明倫堂学士不採用について」によると、鈴木朖は丹羽嘉言、市川鶴鳴、本居宣長といふ三人の良き師を持つ「稀に見る才能の人であった」と評される。

山本梅逸 寿老図
朖 狂歌

 その才能は、『論語参解』の割注の言葉においても垣間見られる。つまり、朖はその著『離屋学訓』において、「和漢古今ヲ博ク見ワタスヲ學と云」と述べてゐるが、その通り、朖の和漢の学が『論語参解』の割注の言葉に余すところなく披露されてゐるのである。割注において『論語』原文を注釈するために引用された書物は、中国の経書である「四書五経」を始め、日本の古典である『古今和歌集』や『徒然草』に至るまで多岐に亘る。

 また、その才能は、『論語』の訓読や注釈において朖の独自の見解を述べたところや、「注家サマ〳〵ノ説アレドモ、一ツトシテサモヤト思ハルゝハナシ」、「カラ人ノサカシラヲ好ムクセヨリ出タル語ニシテ、アテニハナラズ」等の評語からも伺へる。また、その公正な見解や公平な評語より、朖の学問に対する誠実さも洩れ伺へるのである。

 さらに、割注の言葉は俗語だけではなく、「オムカシ」、「オモハレケラク」等の古語、「メヅ」、「ケドホシ」等の雅語も使用されてゐることを付け加えておく。

 本稿は、『論語参解』の割注の言葉を通して、鈴木朖の使用する俗語、また注釈の言葉、引いては、朖の和漢古今に亘る学問の広さ・深さ、人柄について考察するものである。

一 鈴木朖の「雅語」と「俗語」

二 「参解」の意味

三 割注の俚諺(サトビゴト)

四 朖の見識と見解

終はりに  

『論語参解』版本、論語參解序

『論語参解』版本、論語參解序、本文

二、漢文訓読史上の鈴木朖
─過去・完了の助動詞の用法の変遷─
                ・・・・・齋藤 文俊

漢文訓読史上の鈴木朖

はじめに

 鈴木朖の訓読法の特徴については、すでに、石川洋子などによって、かなり明らかにされてきている。本稿においては、江戸から明治初期の漢文訓読語法、特に過去・完了の助動詞の変遷という流れの中に鈴木朖を位置づけていきたい。

一 江戸時代における漢文訓読の流れ

二 訓点復古

 鈴木朖には、『訓点復古』とほぼ同時期に刊行された『改正読書点例』(天保七年刊)があるが、同書のの丹羽勗による「はし書」には次のように記されている。

 今漢学者字音を正す事のみを知て、訓のさだを忽にし、漢語の意さへたがはざれば、和訓の心はあたらでも苦しからずと思ひをるは、本末の弁へなく、御国の言霊(コトタマ)に対しても恐れある事なり。また今の漢籍読に御国の古語の伝はりたる事あり。師の此書を読ひとさる類ひを弁へ得ば、漢籍も亦御国学ひの便りとなること有べし。

つまり、単純な「古い訓読法への復古」という主張にとどまらず、漢文の訓読も国語文の一つであるという意識が前提になっていることが窺える。そして鈴木朖の訓点もこのような姿勢で付けられているため、現代においても、中田祝生(一九七九)により、次のような評価が与えられている。

国語の関心が深ければ破格の訓点が排斥されることは、鈴木朗の論語參解などによつて判明する。彼が国語学上の種々の業績をあげたあとの刊行になるものだけに、江戸末期の極端な訓点が盛行する中にあつて、よく純正さを守り得てゐるものである。

三 一斎点

四 江戸時代の漢文訓読における過去・完了の助動詞

おわりに

          『改正読書点例』 丹羽勗(盤桓子)はし書き

               『改正読書点例』

三、影印・養生要論

            『養生要論』 丹羽勗による「はし書」

            『養生要論』 鈴木朗 自序、本文

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