学会誌 文莫 第12号 (昭和62年5月発行)

文莫 第十二号 表紙

本誌の名「文莫」の文字は、これを鈴木朖の筆なる扁額からとって、縦に置きかえたものである。この語は、『論語』述而篇の、「文莫吾猶人也」とある句中の「文莫」の二字を連語として解したことによるもので、その意味は、朖の著『論語参解』によれば、「黽勉ト同音ニテ、同シ詞ナリ、学問脩行ニ出精スル事也」という。あるいは彼の座右の銘ではなかったかと思われる。

 

 

 

 

 

目次
鈴木朖百五十年記念号
一、『希雅』について寸感・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・佐藤  茂
二、日本語の特性と鈴木朖の「てにをは」観・・・・・・・・・・・・・鈴木 一彦
三、中山美石年譜考証・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤井  隆
四、『雅語訳解原稿』について・・・・・・・・・・・・・・・・・・・尾崎 知光
五、同右影印

一、『希雅』について寸感・・・・・佐藤  茂

 昭和六十年六月二日の鈴木朖学会にて、本稿と同題の講演を行なった。

 『文莫』第三号(昭和五十三年七月十五日刊)に拙稿「鈴木朖についての寸感」をしるした。

 前項においては『希雅』について文字通りの寸言にとどまった。それを補う意味もあり、あらためて『希雅』を考へるといふ立場からも、『希雅』をとりあげることとした。

二、日本語の特性と鈴木朖の「てにをは」観
                ・・・・・鈴木 一彦

一 印欧語の文と日本語の文

二 漢文と和文

三 語の二大別(素材語と志向語)

四 表現意図と表現形式

五 鈴木朖の「テニヲハ」観

三、中山美石年譜考証・・・・・藤井  隆

 本居大平の高弟で、三河を代表する国学者たる中山美石についての伝記は、僅かに大村重由氏の「中山美石小伝」のみで、詳細な伝記も年譜もない状態である。筆者は美石の資料には長年心を配してはいたが、具体的には全く手を付けていなかった。鈴木朖学会で美石の講演をとの話があり、御引受けした。そこで三か月程の間に暇を見付けて調査研究した結果、不備は多多有るものの、従来の説を可成に訂正し補うことができたので、美石の略年譜を作り、これを説明する形で、鈴木朖学会の講演を果たした。

四、『雅語訳解原稿』について・・・・・尾崎 知光

 今回影印に付する『雅語訳解原稿』と題する本は、表紙はもとの紙がいたみ、破損したので、厚手の紙の上にその一部をはりつけ、新しく付けられたものである。そしてその中央に、 植松茂岳筆 鈴木朖加筆 雅語訳解原稿 としるす紙がはり付けられている。このはり紙は本文筆者のなせるわざではなく、改装時にその所持者が「植松茂岳が書写し、鈴木朖が加筆した稿本」と認定してその旨をしるしたものと思われる。

 右のはり紙によれば、本文は植松茂岳の手ということになるが、そのように断定してよいか否か私には分らない。ただ加筆、訂正が鈴木朖自身のものであることは、その文字を見れば直ちに知られる。

五、雅語訳解原稿 影印

文莫第11号訂正(正誤)

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